SHIMANE UNNAN-CHALLENGE

これまでの雲南市(雲南市ブランド化プロジェクト)

歴史の幸

歴史の幸「菅谷たたら山内」『語り部』~菅谷たたらの歴史物語⑦~


高殿のたたら炉で燃え盛る炎 (昭和44年ごろ)
この画像は重要有形民俗文化財の指定に伴って炉が築かれた際、窯土を
乾かすために一度だけ火が入れられたと考えられる貴重な画像です。

『語り部』「堀江要四郎村下から聞いたこと」から~窯土~

永代たたら製鉄では操業のたびに炉の構築と破壊が繰り返されます。菅谷たたら山内が有形民俗文化財に指定される以前、高殿は炭を置く倉庫として利用されており、高殿内にはすでに炉はありませんでした。しかし菅谷たたら山内が文化財となったことに伴い、故堀江要四郎氏らによってたたら炉が復原され、今日に遺されています。
たたら吹きでは窯土(炉を築く粘土)は大事なものでした。特に鉧吹では窯土で勝負がつくとさえいわれたものです。この窯土はどこにでもあると言うものではありませんでした。菅谷たたらには近いところ(菅谷たたら山内伝承館が建つ尾根)にありました。菅谷たたらの窯土は鉄分がなく石灰分の多い土でした。

    
窯土を採取した、山内が一望できる尾根

(窯土は)土を掘る場所で土の質も違っています。私は鉧吹のときは必ず山に作業員を連れて行って土を吟味し、その場所を掘って土を運んでもらっていました。窯土は、一窯に千貫(約3,8トン)の土がいりました。土は重いので掘ることより運ぶのに手間がかかりました。
他の(よその)たたらでは男手間が大変なので山内の女の人が運んでいたそうですが、菅谷では明治四十年ごろまで窯土を女の人には運ばせませんでした。(金屋子神の信仰から)女の人が運んだ土は金屋子さんの機嫌が悪くなって、良い鉄が吹けないということからでした。
窯を造る日の朝までに予め窯土を水と混ぜて踏んでおき、粘りすぎないよう小さい山砂利を混ぜておきます。よく踏まれた窯土は三本指でつまんでみて(確かめ)何回でも踏んで造りなおして釜を築いていました。
菅谷たたらの窯は、他のたたらと比較して大きかったのではないかと思います。窯の長さ九尺(2.73m)、幅四尺五寸(約1.36m)、高さ三尺八寸(約1.15m)。これは父親も自分も試験してみて菅谷たたらで一番良かったと思っています。この寸法で長年築いていました。

これまで砂鉄、木炭、窯土とたたら製鉄の原材料についてご紹介してきました。『語り部』にはこのほかに、たたら操業の実際はもちろん山内での年中行事や金屋子さんを祀る儀式、あるいは鉄生産に欠かすことのできない大鍛冶など菅谷たたら山内の歴史がたくさん刻まれています。
当たり前のようですが、これまでご紹介したとおり、たたら製鉄は工業生産と違い同じ品質の鉄を何度もつくることはできません。たたらを吹くごとに村下の勘が頼りとなります。次回は、原材料が揃ったところで実際に高殿ではどうやって操業が行われていたのかご紹介していきます。

  
      もうしばらくでカツラの芽吹きとなります

記事一覧

もっと見る

雲南ソーシャルチャレンジ大発表会

Facebook

雲南市に関係するサイト