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歴史の幸「菅谷たたら山内」『語り部』~菅谷たたらの歴史物語②~

        
1月の菅谷たたら山内 (元小屋後方の杉林の向こうでは、かつて、鉄穴流しも行われていました)


今回は、『語り部』からたたら製鉄と切り離すことのできない砂鉄にまつわるお話をご紹介します。その前に、砂鉄から鉄ができる原理についてご紹介します。砂鉄は、磁鉄鉱とよばれる鉱物が砕けて粒状になったもので、化学式は(Fe34)となっています。つまり、鉄(Fe)に酸素(O)がくっついた状態ということになります。原理としては、砂鉄からこの酸素を引き離すこと(還元作用)によって鉄(Fe)になるのですが、この酸素を引き離す働きをするのが木炭なのです。燃えている木炭(Co)が砂鉄の酸素を引き離すことによって砂鉄が鉄に変化するのですが、炉内の温度は1,000度以上となり、炉の内部も溶けていきます。そのため炉が溶け出した成分も銑(ずく)や鉧(けら)の生成に作用すると考えられています。

『語り部』砂鉄より
 たたら製鉄でできた和鋼(鋼)は現在の進歩した冶金技術でも造れないといわれています。―中略―その鉄は砂鉄を原料として造られてきました。―中略―日本では鉄鉱石は少なく、(その一方)土中の砂鉄が多くて、砂鉄は雨などで土中から川に流れて溜まるもの、(さらに)流れて海に出て波で海岸に打ち上げられている砂鉄と、そして土中に残っているものなど種々雑多です。それで海岸に打ち上げられている砂鉄を浜粉鉄(はまこがね)といっています。川で採れるものを川粉鉄(かわこがね)といっています。そして、山を崩して採取したものを山粉鉄(やまこがね)といっています。
砂鉄の性質は(種類によって)異なっていまして、―中略―大別して赤目(あこめ)砂鉄と真砂砂鉄の二種類に分けられています。
赤目砂鉄は質が軟らかく、比較的低温でも溶けるので炉内でよく溶けてドロドロとした鉄は炉外に流し出され、固まった鉄は銑(ずく)とよばれています。
―中略―村下や古老の方々の話されたことを総合して考えてみると、吉田村(町)は真砂地帯に属していながら、赤目が多く、菅谷たたらは赤目鉱脈の真ん中にあるようです。―中略―(吉田村は)赤目の良質地帯であると思います。
永代たたら設置場所は、一に砂鉄、二に木炭といわれているように、一番大事な砂鉄が吉田付近には多かったことを物語っているように思います。 
(一方)、真砂砂鉄は硬く、炉内で高温でなくては溶けません。チタン分が少なく鋼鉄造りの砂鉄です。―中略―この真砂砂鉄はどこにもある砂鉄でなく、ごく限られた地方にしか産出しません。中国地方において(は)鳥取県日野郡から西は島根県邑智郡辺りまで、中山脈の北側の山陰地方しか産出しない砂鉄です。

     

     
     炉外に流れ出て固まった銑鉄、流れ銑(ずく)ともいいます
     平成25年高殿の床面下から出土しました(17×10×4cm)


堀江要四郎村下「砂鉄」を語る
菅谷たたらを語るとき、最後の村下であった堀江要四郎村下なくして菅谷たたらを語ることはできません。堀江村下については改めてご紹介しますが、ここでは砂鉄の話に絞って『語り部』からご紹介します。
『語り部』~堀江村下の話から~
―中略―「昔から砂鉄(さてつ)といったことはありません。皆が「こがね」といっていました。」昔の記録されたものには「粉鉄」「小鉄」とあります。―中略―何といってもたたらでは鉧吹き(けらぶき)が一番難儀な仕事でした。(たたらでは主に鋼を造ることを目的としたのが、鉧吹きであり、主に銑鉄を造ることを目的としたのを銑吹きといいます。) 「鉧吹きはやる度ごとが初めてで同じ鉧は吹けませんでした。いつも違った鉧しか吹けなかった。」あの優れた鋼は一に釜、二に炭で三に風、四に粉鉄でして、五に勘(村下の技術)でした。
粉鉄も炭も土も風も生きています。それが仲のよい時もありますが反対に仲の悪いこともありまして、勘に頼るしかありませんでした。」「まず粉鉄と炭がよければ何とかなるという村下もいますが、どこのたたらでも両方揃うことはなかなかなかったようです。」
この菅谷たたらは、近郷にない良質の粉鉄が集まりますし、炭の検査が厳重だったため、良質の炭を焼いていましたから恵まれていました。
「赤目の『こもりの粉鉄』は薬粉鉄といっているほど細く軟らかい粉鉄でして、たたら吹きのとき、一番初めに炉に落とす粉鉄です。鉧吹きの時にはこの粉鉄は早く溶け、溶けた湯(鉄が溶けたもの)は基釜に入り、釜の温度を上げます。炉の温度が早く上がるほど―中略―良質の鋼が多く出ます。その『こもりの粉鉄』が菅谷は近いところに多くありました。―中略―私は『こもりの粉鉄』そして、こもりの次に使う赤目はいろいろな山の粉鉄を使いました。また、川粉鉄も使っていました。熊谷(斐伊川か?)の粉鉄より、粟谷(三刀屋町飯石川流域)の川粉鉄がよかった。真砂砂鉄は赤目に近い真砂も使いました。真砂は上山(吉田町東部)や川手(吉田町北部)のがありましたが、上山の真砂は上品で無難な粉鉄でした。」
堀江村下のことばからは、たたらが操業されている間、炉に投入する砂鉄の量や種類に片時も気を抜くことができなかった様子が窺えます。
次回は、砂鉄の主要な供給法であった鉄穴流しについてご紹介します。




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