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歴史の幸

古墳時代の製鉄炉発見~ 羽森第3遺跡~

 前回、製鉄の歴史を遺跡からはっきりとたどることができるのは、6世紀前半までとお伝えしました。とは言っても、このころの製鉄遺跡としては、島根県内でも邑智郡の今佐屋山遺跡が確認されている程度です。それぐらい、古代の製鉄遺跡が見つかるのはまれなことなのです。ちなみに奈良時代ごろの製鉄遺跡にしても、県内では3か所しか見つかっていません。
 6世紀と言えば古墳時代の後期に当たります。日本では、このころからやっと鉄の自給生産が始まりました。当時の主要な鉄生産地は大和や吉備ですが、こうした地域では主として鉄の原料に鉄鉱石が使われていました。
 さて、山陰側でも古墳時代後期の製鉄の跡が確認されるようになりましたが、今佐屋山遺跡に続く古い製鉄炉の跡が雲南市でも見つかっています。それが掛合町多根の羽森(はねもり)第3遺跡です。
 ところで、皆さんは、製鉄といえば「たたら」という言葉を連想し、菅谷たたら山内にあるような大きな製鉄炉で鉄がつくられると思われるかもしれません。しかし、古墳時代には、菅谷たたらのような近世以降のたたらからは、とても想像がつかない製鉄が行われていたのです。
 羽森第3遺跡は、三刀屋川の左岸にある、標高336mの山の斜面に所在します。そこで確認された製鉄の跡は実にシンプルなものでした。山の斜面をカットして幅約4m、奥行き約3mの平坦面を製鉄の作業場として造成し、そこに砂鉄置き場と木炭置き場、製鉄炉が設けられていたのです。製鉄炉は、形も大きさも近世以降のたたらと全く違うものでした。製鉄炉は、菅谷たたらのような大きな長方形ではなく、隅丸の方形か長円形で、大きさは、長径が50㎝、短径が45㎝しかありませんでした。このことから、古墳時代の製鉄炉は、横よりも縦に長い竪型炉だったことがわかりました。

   羽森遺跡(縮).JPG

   羽森第3遺跡 古墳時代の製鉄作業場 中央が製鉄炉の跡、左奥は木炭置き場

   右奥は砂鉄置き場

 ここで気になるのは、このような製鉄炉でつくられた鉄の量です。これまでの研究によれば、1回の操業でできる鉄の塊は、子どもの手のひらに載るぐらいと言われていますので、近代のたたら操業とは雲泥の差があることになります。
 古墳時代の有力者にとって、鉄あるいは鉄製品を持つことは自らの力を示すバロメーターでもありました。掛合町の山中でつくられた鉄が広範囲に交易されたとは考えにくく、おそらく羽森第3遺跡の製鉄作業場では、製鉄技術を持ち得たこの地域の首長によって鉄の生産が繰り返されたと思われます。古墳時代、出雲各地の有力者は、鉄の保有や製鉄技術の導入に大きな関心を抱いていたのかもしれません。やがて、奈良時代になると、製鉄炉は竪型炉から箱形炉に改良されることになります。そして奈良時代から平安時代にかけての製鉄遺跡が、ここ雲南市でも見つかっています。 

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