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山陰初!木次町万場Ⅰ遺跡から縄文時代の彩文土器が出土

山陰初!木次町万場Ⅰ遺跡から縄文時代の彩文土器が出土

 雲南市教育委員会では、平成18~19年度で木次町の久野川沿いにある市道新市坂本口線の改良工事に伴い、万場地内の発掘調査を行いました。18年度の調査では、弥生時代中期後半(およそ2000年前)から平安時代(およそ900年前)の土器が出土し、古代から人びとの生活があったことがわかりました。ちなみに、万場Ⅰ遺跡から南西に1.2kmの地点には伝木次銅鐸の出土地もあります。

19年度では、さらに深く掘り進めたところ、縄文時代の水路の跡が現れました。この水路は、そばから出土した土器から、縄文時代の晩期(およそ2500年前)頃のものとわかりました。縄文土器はふつう、淡い褐色の土色をしていますが、驚いたことに紅色に塗られたきれいな土器が出土したのです。

出土時の鮮やかな彩文土器.jpgこの土器は、乾くと朱色に変わってしまいましたが、調査をしたところ、東北日本の漆塗り土器で知られる亀ヶ岡系の土器であることがわかりました。

土器の中には、黒漆が塗られ、逆Cの字状の文様以外の部分には赤漆がみごとな一筆書き様に塗られたものがあります。

 一方、文様が描かれた土器は、出雲地方で生まれた土器の様式ではなく、海を渡った北部九州で作り出された土器の様式だったのです。

彩文土器文様.jpg このことから、雲南市のような出雲の山間部にも2500年前には東西の文化交流が活発に行われ、はるか東北で生まれた漆塗りの技術も伝わっていた事がわかったのです。移動手段は歩くことのほかは舟をこぐことしかなかった時代です。

東北の縄文人はどうやって東北の文化を伝えたのでしょうか。

 万場Ⅰ遺跡では、彩文土器のほか、水に浸かって運良く残った板材も出土しました。 万場Ⅰ遺跡出土木製品.jpgこの板材は片側中央に刳り込みがあることから、トチの実などをアク抜きするための水さらし場の部材の可能性もあります。事実、水路跡からはたくさんのトチの実やクルミが出土していますので、もし、そうだとすれば、これも山陰初の水さらし場の部材ということになります。

これまで縄文遺跡から出土した木製品は、丸木舟や櫂などがほとんどでしたが、何らかの部材と見られる木製品の出土は、島根県では初めてのことです。

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