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歴史の幸

 歴史の幸 『菅谷たたら山内』 元小屋と支配人


       素屋根で全体が覆われた元小屋
  

 平成24年度から始まった菅谷たたら山内の保存修理工事は、高殿に続いて元小屋の修理工事が進められています。外から見ることはできませんが、屋根や壁はすべて取り除かれて柱だけとなり、内部が見渡せるようになっています。現在は腐朽した柱の繕いや後世に改修された施設の取り除きが行われており、建物内部を見学することはできません。
今回は、そもそも「元小屋」とは何かをお話ししてみたいと思います。小屋といえば屋根のある簡単な建物をイメージしますが、元小屋はこのような簡単な建物ではありません。菅谷たたら山内の元小屋には土間や作業場を除いて六つの和室があり、これに台所や風呂場等が付いた本格的な建物なのです。

     
             素屋根の内部

      
       すべての壁が取り払われた元小屋の一階

 江戸時代の中ごろ、近世たたら製鉄の経営や施設の建築法について記された、たたら製鉄のバイブルともいえる書『鉄山必用記事』が下原重仲によって著されました。この中には元小屋の建築について次のように記されています。
「元小屋はその鉄山の長の事務所なので、使い勝手のよいように建てるべきである。柱を高くしすぎると、土も多くいり、手間もかかるし、風で傷みやすい。屋根の勾配がゆるいと雪が滑りにくく、雨漏りしやすくてよくない。少しでも狭い方が有利であるが、山内の全員を呼び集めた時に座る場所もないということでは具合が悪いので、少しは大きくせざるを得ないであろう。また、帳場にいて高殿、鍛冶屋が一目で見えるように建てるべきである。」
このように、元小屋は山内の最高責任者である支配人の住居と事務所を兼ねた施設で、規模は違うものの、どのたたら場にもなくてはならない施設だったのです。菅谷たたらの元小屋は二階建てで規模としては大きかったことが窺えます。

支配人
 さて、元小屋の機能として一口に“事務所”といいましたが、事務所長であり、山内の責任者でもあった支配人の務めにはどんなものがあったのでしょうか。菅谷の支配人が実際に行っていた仕事とは異なるかもしれませんが、『鉄山必用記事』には次のように記されています。
①毎朝、山内の出勤簿に記帳すること。
②山内の病人を帳面に付けさせること。
③高殿内の炭、砂鉄、窯土の有無を点検し、用心深く手配すること。
④鉄を計量する葛容器をきらさず準備しておくこと。
⑤毎夜元小屋に詰めて、山内の仕事の相談もし、手配を入念に行うこと。また、山内に逃亡人がいないか調べること。
⑥大雪、大雨の際は、真っ先に山に出かけて、諸事万端の心配りをすること。
⑦山内の願い出は、しきたり通りのもの以外は取り次がないこと。
⑧山内に不審な者がいたら報告すること。
このように、たたら操業の差配や山内従事者の労賃管理はもちろん、山内居住者の健康、治安、安全管理などほとんどすべての責任が支配人にかかっていたといえます。

作業場が併設されていた元小屋
 元小屋の入り口を入ると土間があり、その右手には作業用のスペースがありました。ここは内蔵(うちぐら)とよばれ、大どう場から運び込まれた30㎏ぐらいの鉧の塊をさらに小さく砕いて品種をそろえ、荷造りして大鍛冶屋に出荷していたのです。『鉄山必用記事』には、支配人は絶えず作業の様子を見回りする必要があると記されています。そのためか、土間と内蔵との仕切りは格子窓になっていて作業の様子が事務所からも分かるようになっていました。
内蔵で鉧の塊を砕くには、大どう場の錘よりもさらに小さな300㎏ぐらいの錘を吊り上げるどう場が必要でした。この錘を吊り上げるにも大どう場と同じように水車が使われていました。現在、元小屋の西壁の外には、長さ7.7m、深さ2.1㎝もある水輪(みずわ)の回転場跡が残っています。

    
        水車と小鍛冶場があった元小屋の西隣

       元小屋の西隣に掘られた水輪の回転場跡

 この水車は本来元小屋の中にあったといわれていますので、たたら操業時の元小屋の建物はさらに西側に延びていたことになります。山内を統括する拠点ともいえる元小屋ですが、たたら操業を終えた後は一般住居として使用されたため、建物の数か所が改修されていました。このため復原については、今後慎重に検討しながら修理工事を進めていきます。

※参考資料  訳 館 充 発行所 丸善株式会社 『現代語訳 鉄山必用記事』

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